2月26日は脱出の日です。
脱出の日の由来は、まだまだしらない人も多いかもしれませんね。
「脱出の日」って唐突過ぎて、何?って思うかもしれませんが、この2月26日は1815年にナポレオンが流刑されていたエルバ島から脱出した日なんです。
ナポレオンは有名人ですが、日本ではどんな人なのかあまり知られていないと思いますので、極々簡単にまとめてみます。
皇帝ナポレオン
ナポレオンはフランスのコルシカ島で1769年の8月15日に生まれ、パリの陸軍士官学校で砲兵学を学びます。
士官になったナポレオンは、フランスの首都パリのヴァンデミエールの反乱を鎮圧したり、その後のイタリア遠征やエジプト遠征で名をあげるなど、次々と武勲を重ねていきます。
そしてついに、1799年にブリュメール18日のクーデターで、統領政府というナポレオンの事実上の独裁政権を築くに至ります。
権力を得たナポレオンはフランス銀行を設立したり、有名なナポレオン法典制定しました。
ナポレオン法典は「法の前の平等」「契約の自由」「私有財産不可侵」等を規定し当時としては画期的なものでした。
そして、このナポレオン法典と同じ年に国民投票で圧倒的な支持を得て「皇帝」になります。ナポレオン1世の誕生です。
ここから、ナポレオンはヨーロッパの大半を支配下に置く、一大帝国を築き上げます。しかし、スペインへの侵略の失敗や、ロシア遠征の失敗から、ナポレオンの支配は崩れ始め、
1813年のライプチヒの戦いで、プロイセン・オーストリア・ロシアの同盟軍に敗北し、1814年にはパリを占領されナポレオンはエルバ島に島流しになります。
ナポレオンがいなくなったフランスは、ドイツに亡命していたルイ18世が王として即位します。
しかし、フランス国民の支持は得られず、ウィーン会議での各国の話し合いもうまくまとまらない間に、ナポレオンは2月26日にエルバ島を脱出、3月20日に皇帝に返り咲きます。
しかし、それもつかの間、イギリス・オランダ・プロイセンらの連合軍にワーテルローの戦いで敗れ、南太平洋のセントヘレナ島へ流されます。
その後、ナポレオンこのセントヘレナ島で、1821年に51歳でこの世を去りました。死因は病死と言われていますが、毒殺と言う説もあります。
ナポレオンの名言
「世の辞書に不可能の文字は無い」と知られているナポレオンの名言ですが、これは「不可能という文字は愚か者の辞書にのみ存在する」と言う言葉であったと言う説や、そもそもこの言葉自体が後世の創作ではないかともいわれていて、いまだに結論は出ていません。
2月26日脱出の日 まとめ
2月26日の「脱出の日」は初めて聞いた時には「何それ?」と思いましたし、ナポレオンが流刑地から脱出した記念日だったとは知りませんでした。
由来を聞いても「なぜ急にナポレオン?」って思いますよね?
その疑問は解けませんでしたが、ナポレオンの事を知るいい機会にはなりました。
他にも面白い記念日があったらまた、ご紹介していきます。
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